PREV | PAGE-SELECT | NEXT

ヴィパッサナー瞑想・後編(終)


瞑想修行漫画まとめ、後編です。

まとめ前編(1〜4話)
まとめ中編(5〜17話)



20181112232537282.jpeg

20181112232537613.jpeg


10日間の瞑想修行もついに最終日となりました。

修行中は一切の私語やアイコンタクトが禁止されていますが、最終日だけはこれが解除されます。

音声ガイドの解説によると、このお喋り解禁デーは特殊な修行の日々から日常生活に戻るために非常に重要で、これを受けずに修行を終えることは許されないそうです。


恥を偲んで漫画にしましたが、私は集団の中に入っていくことにかなりの苦手意識を持っています。しかし一応いい大人なので、仕事と思えば場の空気に合わせて盛り上がってるふりをするくらいの事はできます。

が、9日間黙りこくった反動か、周りの盛り上がりが常軌を逸していたためか、このときはもう修行仲間達の楽しそうな声が怖くて怖くて怖くて怖くて空気を読むどころではありませんでした。9日間の修行で得た精神力や忍耐力の類が一瞬で塵と化すのを感じました。この日本当に必要か?と思いました。



2018111223253728f.jpeg

20181112232537501.jpeg

施設卒業の日。
 
最初のうちは永遠の様に感じられた10日間ですが、終わってしまえばあっと言う間で、最後の3日などは「延長できないかなあ」なんて思った程でした。それくらい静かで穏やかで心地良い10日間だったのです。(最終日以外は)


修行の成果がどうだったかと言うと、もちろんそんな短期間で悟りを開ける訳は無かったし、修行の目標であった「心の濁りを取り去る(受け流せるようにする)」というのも叶ったとは言えません。

が、以前より冷静になったことは確かです。もともと結構な根暗なので冷静になるよりむしろ元気だせよと自分でも思いますが、漫画にも描いた通り感情の波を落ち着けるのが早くなったのは良かったなと思います。これでインド人共といちいち喧嘩せずに済みます。いや喧嘩は絶対しますが、回数を減らせます。



20181114172105159.jpeg
どっかの洞窟

また、完全な「無」などというものは存在しないのでは?と思えたのも、テーマとして興味深かったです。(「無」が「存在」するという言い方はおかしいのではという点は目を瞑ってください。)

これまでの人生で、空間的、物理的な「無」を体験したことは一応あります。あれは東欧のハンガリーだったかスロバキアだったか、洞窟巡りにはまっていた頃に参加したあるツアーで「完全な静寂を体験してみよう」みたいな時間があったのです。地下深い洞窟の中でライトを消し、数名しかいないツアー客全員がジッと身を潜めると、本当に全く何も見えず、何も聞こえず、何の匂いもせず、自分自身も闇に溶けて消えてしまったのでは?私は本当に今ここにいるのか?と、強い恐怖に襲われました。あの空間は、空間だけで言えば完全な「無」でした。

しかし、空間は「無」でも脳は動いていますので、内から湧き上がる「有」がありました。それは不安や恐怖などの「感情」です。そしてこの感情が、このときの私を支えていました。あれほど完璧な「無」の空間で「無心」になろうとしたら、その心は二度と戻って来られないんじゃないかと思います。それくらい、「完全な無」という状況は恐怖でしかありませんでした。



20181005185047128.jpeg
瞑想室

瞑想室は静かではあるものの全くの無音ではありませんし、目を瞑っていても光は感じますので、絶対的な「無」の空間ではありません。そしてその中で過ごした私自身も、「無」になることはありませんでした。むしろそうなろうとすればするほど有が溢れ、あんたの頭ん中そんな色々詰まってたんかいと驚いたほどです。

また、内面ばかりではなく、一見静かな空間に存在する有もこの時はとても大きな存在に感じられ、愛おしかったです。小さな鳥の声、遠くの読経、長時間の座禅で手足が痺れる感じ、そして部屋の温度すらも、退屈な・・って言っちゃ駄目ですけど、自分しか見るもののない長い瞑想タイムには最高のおやつでした。まあインド人ばりに存在を主張されると流石に滅してたもれと思いますが、普段は無視している身の回りの小さな「有」達はとても重要だったのです。先程も書きましたが、完全な「無」の中での瞑想など恐ろしくてとても試せたものではありません。ベテランの人ならバッチコイかもしれませんが、少なくとも素人の私には難易度が高すぎます。

一見「無」に思える場所も実は有が溢れているし、空間的な「無」に放り込まれた場合は内なる「有」が黙っていないし、自分が生きて感じている限り、「無」なんてものはありえないぞというのが私の出した結論です。


・・ところで。

ここまで「有」とか「無」とか得意げに語っておいて何ですけども、私が勝手に無心を目指して撃沈しただけで、実際のヴィパッサナー瞑想では「無になれ」などとは一言も言われておりません。(居眠りしている間に聞き逃したとかでなければ。)この瞑想法は、どちらかというと「達観しなさい」とか「落ち着きなさい」みたいな方向の大らかな教えであり、そのための訓練なのです。「無心には中々なれないから気をそらしましょう」というのが近いかも。個人的な解釈ですけども。

本当に今更ですね。漫画にも無心だなんだと書いてしまいましたし、嘘こくなと協会に怒られないと良いのですが。



20181114172105497.jpeg
ルンビニ、韓国寺再び(出所後に一泊)

さて、ガイダンスでも言われましたが、この10日間はお試し期間というか準備体操と言うか、施設側としてもたったの10日で悟りを開けるなどとは考えていないようです。これはあくまできっかけに過ぎず、この後も自分の意思で瞑想を続けていくことが大事なんですよ、とのことでした。

旅先で会う人、西洋人に多い気がしますが、度々ドミトリーのベッドの上で座禅を組み目を瞑ったまま微動だにしない人に出会うのはそういうアレだったんだなあと、今なら分かります。そしてその時間がとても心地良く、確かにたまにやりたくなるなと言うのもよく分かります。

そういう訳で私も、瞑想コース終了後の今でも定期的に(本当は毎日やるべきなのですが)瞑想の時間を作っています。一時間は流石にダルいので、15分とかせいぜい30分とかですが。そして教わったヴィパッサナー瞑想法に逆らって勝手に別の方法を試したりもしていますが。頭がスッキリするなら別に何でもいっかなと思いまして。駄目な生徒です。



そんなこんなで、迷走したり脱走しかけたりカレーを作り過ぎたりしたヴィパッサナー瞑想10日間コースでございましたが、結果はどうあれ、個人的には大満足のうちに終了したのでした。

機会があれば、いえ、是非積極的にその機会を設けまして、また参加したいと思っています。今度は是非日本で。きっと外国以上に瞑想仲間達との付き合いにビビり、参加したことを後悔するんでしょうけど。


以上、ヴィパッサナー瞑想日記でした。


にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
ブログランキングに参加しています。記事が面白かったらクリックお願いします。

| ネパール | 23:23 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

修行おつかれ様でした(^-^)
貴重な体験をシェアしてくれてありがとうございます!
(漫画めちゃくちゃ面白い、最高!)

| 森 淳一 | 2018/11/14 08:23 | URL |

> 森淳一さん

ありがとうございます!
ずっとやってみたかった瞑想修行ですが、想像以上に面白く(興味深いという意味でもちょっと突っ込みたくなるという意味でも。笑)、色んな経験が出来て大満足です!

| 低橋 | 2018/11/14 13:03 | URL |















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://watatobu.blog.fc2.com/tb.php/989-3e4cdf98

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT